答え合わせ世代
- 情報が簡単に手に入る
- 過去にたくさんいたえらいおっさんは通用しなくなる
- バットの振り方、ボールの投げ方は誰も正しく教えてくれなかったことに今気づく
- 古田の方程式は答え合わせだ
- プロが何を考え練習し、何を考え試合をしているのか
- 自分がいかに何も考えてなかったのかがわかる
- AI時代は答え合わせが始まる
- AI時代しかない世代は答え合わせは必要とされない
松本人志学派
- 松本人志のKPIは笑いのみである。
- 面白い奴が評価される、成功する世界を松本は作った。
- これは教育によって達成された。
- 「いじり」はいじめと表裏一体だが区別されるというのが一つ。
- これらは共通理解の前提で区別され、笑いというKPIによって正当化される。
- ここを極めたのはダチョウ倶楽部
- 何をやるのか事前にわかる、ひどい目に合うのも知ってる。みんながそれを共有している。なのにこんなに面白い。
- 同じ空気の下で何周もして達した境地だ。
- 「いじり」はいじめと表裏一体だが区別されるというのが一つ。
- これは教育によって達成された。
- 松本はお笑いを笑いで評価しない人たちをひれ伏してきた。
- 反対勢力は笑いというKPIを支持する我々の声によりつぶされてきた。
- 視聴率、売上(本や音楽)、SNSのインプレッションなどで支持は示される
- 空気を読んだ笑いを支持しない人たちもひれ伏した。
- 空気を読んだ笑いとは、彼らの築いてきた、そして教育が行き届いた前提の上で表現をする笑い
- 彼らが築いてきた前提は、いじる人・いじられる人に加えてみる人にも共有されるまで教育されてきた
- この学派を松本学派と呼ぶ。
- この学派は空気を読んだかどうかは意に介さない。評価ポイントは面白いか否か。
- この点茂木健一郎とは歩み寄れないのは確定的。
- 松本の「茂木さんが全然面白くないから」という反論は評点がずれているように感じる。評論が同じ重要指標で評価される理由はない。ただ言いたいことはわかる。お笑いを笑い以外の指標で評価するのであれば、そんなもの知らんよという話だ。
- この点茂木健一郎とは歩み寄れないのは確定的。
- お笑いを笑いだけでは評価しない人は思いのほか多い。
- 横山やすしの教えを理解できなかった「松本人志」
- 我々学派にとっては珍奇だが、我々のパラダイムが松本の教育によるものだからだ。
- 「いじり」シーンをいじめられているという背徳感を感じながら視聴していた我々は、年々その感覚を見直してきた。この前提を演者たちと共有し、面白さを見出すことが可能になっていった。
- これを学派以外に展開すると事故を起こすのはカジサックが身をもって示してくれた。
- 教育上良くないという指摘には正当性がある。子供達は必ずしも学派のパラダイムを持ち合わせていない。それを確認するすべもない。いじるほう、いじられるほう共に。
- 松本は意に介さなくていいと主張し続けてきた。そして実績によって笑い以外と思って評価してくる老害をことごとく黙らせてきた。
- 反対勢力は笑いというKPIを支持する我々の声によりつぶされてきた。
- 面白い奴が評価される、成功する世界を松本は作った。
- 松本の功績はお笑いを笑いで評価するという姿勢を植え付けてきたことだ。
- 面白い奴が評価される、成功する世界を松本は作った。
- 我々ダウンタウン世代は、笑いで笑いを評価するという空気を最大限に支持し、松本を大将として認めてきた。
- 松本人志に黙らされて押さえつけられた人達が立ち上がってきている。
- 松本の力が弱まっている今が反撃のチャンスとなっている。
- 彼らにはひれ伏してきた屈辱がある。
- 私の親父は30年ほど前にテレビで服を脱いだ若い芸人に「こいつら所詮こんなことでしか笑いをとれない」とぼやいていたことがある。苦虫を嚙み潰したような表情とはまさしくあれだった。
- 父の主張は学派支持者から完全否定され、学派の勢力は父に閉口を強いた。
- 我々学派が大きい顔をして闊歩してきた事実は彼らに大きいエネルギーをため込ませる要因になった。
- 彼らにはひれ伏してきた屈辱がある。
- 松本の力が弱まっている今が反撃のチャンスとなっている。
- 松本のKPIにブレがあるのであれば、我々学派は解散の時が来たのかもしれない。
- 一つだけ仮定を置く。後輩芸人は松本に抱かれることを前提で女性を上納していた。
- ここが完全に否定されるのかは今はよくわからない。
- 上納するのはなぜか、認められたいからか、仕事が欲しいからか、気に入ってほしいからか。
- いずれにせよ我々の重要指標にそんなものはない。
- この学派からは否定されなければならない指標だ。
- この世代はもしかしたらここで終わるのかもしれない。
- 一つだけ仮定を置く。後輩芸人は松本に抱かれることを前提で女性を上納していた。
- 女性を上納するシステムは我々が支持してきた空気でないのだとしたら、若手芸人が忖度によって成功のきっかけをつかむ手段なのだとしたら、自分はダウンタウンから離れる時が来たと判断するかもしれない。
Now And Then
「Now And Then」
ビートルズ最後の新曲
素晴らしい曲と思いました 。
私にとってこれはまさしく新曲です。最後に素晴らしいものをいただきました。
「もし何かうまくやれるなら、それは全部君のおかげなんだ。」
「いなくなって時々寂しくなる。そばにいてほしい。」
ジョン・レノンは当時(1978年ころ)、単純なラブソングとしてこれを書いたのかもしれない。
でも今ビートルズとしてこれを出してきたのはたまたまじゃないと感じます。
Iがだれで、youがだれなのか。
ジョンとヨーコなのだろうけど、ビートルズとファンかもしれないし、ジョンとビートルズかもしれないし、あるいは自分と誰かを勝手に想像してもいい。
私はもともと解釈を各自にゆだねるやり方が好きじゃないのですが、今この曲がでたことでいろんな想像を掻き立てられてしまうのです。
「Free As A Bird」「Real Love」はそれぞれ「The Beatles Anthology 1」「The Beatles Anthology 2」に収められた楽曲です(1994年ころ)。
未発表テイクや未発表曲を集めたアンソロジーの中でこの2曲は新たに作られた曲として大変話題になりました。
「Now And Then」と同じく、生前のジョンが残したデモ音源に他メンバーが音を重ねて完成させた曲です。
非常にビートルズであることを意識して作られた曲に思います。どちらの曲も、ビートルズならこうするよね、といった工夫を感じさせます。
ただ曲そのものはビートルズが解散した後のジョンならではのものといえます。シンプルで飾らず、一人称単数の曲です。
鼻を垂らしてぺろぺろキャンディーを舐めていたクソガキの私には、ビートルズらしく仕上げようという作為があざとく感じられてしまい、
新曲が出たというのは衝撃的な出来事でしたが好きにはなれませんでした。
ここにいるのはビートルズという伝説の一部であり、やはり生前の歴史の一部に感じました。
「Now And Then」 はもともと「The Beatles Anthology 3」でのリリースが検討されており、噂はいろいろ伝わっていたためこのタイトルだけは有名でした。
当時は新曲としての発表は見送られ、今回デモ音源を技術的にクリーンにすることが可能になり、2023年に完成度高い状態でリリースすることが可能になったようです。
この曲は非常にシンプルに聞こえます。 そして今のビートルズです。
曲が始まってギターの音が聞こえると、まさに今のポールがギターを弾いています。「McCartney III」の音を思い起こさせます。
スライドギターは主張しすぎず、まるで今のジョージのようなきれいなトーンで流れます。
歴史上の彼らではなく、今の彼らが音を作っているのです。
今、というリアル。
おじいちゃんになったメンバーがもう一回集まって2023年に新曲を作ろうとした。そう感じさせる説得力があります。
ネクタイを締めて革靴で歩いてすっかり丸くなった今の私は、ビートルズの時代に生きているという実感を初めて感じさせられました。
「Now And Then」
いいタイトルだと思います。
この曲のシングルCD版には、カップリングにデビュー曲である「Love Me Do」が収められています。
ここにきて彼らは永遠回帰を獲得したということですが、私は本当の意味で原点に戻ったんだと解釈しています。
伝説だったビートルズを再現するのではなく、今のビートルズが今そのままを表現した。念願の Get Back 実現。
ビートルズが歴史じゃなくなった今もう一回「Love Me Do」から聴きなおしたら、たぶん違う感覚が得られる気がします。
Iは私でyouがビートルズとして物事を見れるようになりましたよ、というお話。
大腸検査
以前
- 健康診断で潜血の診断をもらったことはない
- 持病:肝機能障害、四十肩、坐骨神経痛
4月中旬
- 血便
- 絵具を水で溶いたような鮮血
- しばらくすると鮮やかに便器の水が染まる
- トミーズ雅のがん発見の経緯を思い出し、病院に行くことを決意
4月下旬
- 病院探し
- カメラを入れる検査をしている病院を比較的家の近くに発見
- HPで予約可能
- 病院へ
- 症状を伝える
- 「写真に撮ったりしました?」なるほどその手があったか
- 内視鏡検査を勧めらえる
- 強制はされていない
- 「おそらく切れたのだと思うが、 ある程度年齢いったらお勧めしている」
- 「ポリープは成長が遅いので、何もなければ10年は同じ検査はいらない」
4月末日
- 明日の検査に備えて消化の良いものを食べる
- 自分で用意してもよかったが、病院が用意したものを購入。三食1000円ちょい。やすい。
- おかゆ中心メニュー。おかゆは味がついてない。味気ない。少ないがしょうがない。
- 夜下剤服用。
5月1日午前
- 朝起きて再び下剤服用。
- 8時から2時間かけてポカリの味うすいみたいなやつを2L飲む。
- 便に行くにしたがって固形物が減り、黄金色の液体ばかりになっていく。
- どれだけ出してもちゃんと色がついているのがすごい。人体の神秘。
- 宿便も全部でるらしい
- 最後は弁ではなくおしっこしてる感覚。特に嫌な感じはしない。女の子になった気分。
5月1日午後
- 二時に病院へ
- 下着も脱いで検査着(?)に着替える。
- おしりのとこに穴が開いている。布は使い捨てっぽい紙っぽい感じのもの。
- 診察台に寝る
- おしりに入れられる。特に違和感なく、痛み等もない。
- 麻酔等も選択できたらしいが、選ばなかった。おしりに塗るローションには局所麻酔的効果があるらしい。
- 「力抜いてくださいねー」的なものを想像していたけどなんてことない。
- カメラが奥に進んでいく。カメラの画像がモニターに映り、自分もそれを観察できる。
- 撮影のためか進むためか、ガスが挿入される。これがおなかが張ってそこそこ痛い。
- 中に何か入っているという異物感はない。ガス圧でおなかが張るというのみが敵。
- 洞窟の入り口を開けながらどんどん進んでいくかのような光景。
- 一番奥にカメラが到達し、小腸のヒダヒダを見せてもらう。解説してもらいながら入口へ戻っていく。
- 途中で一つ変異した箇所があり、その場で除去。検査に回すらしい。
- おそらく悪性ではないが、これを検査するとポリープができやすいかというあたりもわかるらしい。
- 大腸には痛覚がなく、その場で切っても痛みはおろか感触もない。
- 他特に何もなく終了。全体的にきれいで、検査に回すものに何もなければ10年は再検査必要ないとのこと。
- 「次出血したらどうしたらいいですか?」「気にしないことですね」
- おしりから潜血ほとばしっているのに気にしないというのも難しい
- とにかく安心できた
- 検査結果は三週間後。
5月7日ごろ
- あれ、そういや坐骨神経痛が治っている?なぜ?え、検査のおかげ?
なぜ「こいつら100%伝説」は面白いのか
岡田あーみんのリボン連載作品の三作、 「お父さんは心配症」、「こいつら100%伝説」、「ルナティック雑技団」、 はコアな人気を獲得し、遺伝子に刷り込まれると評されるほどのインパクトを与えてきた。
どの作品が一番好きか、意見は分かれるだろう。 ただ私にこの質問がなされるなら「こいつら100%伝説」と答えることは決まっている。 なぜ面白いのか。三つほど観点を与える。
突っ込み
お父さんは心配症のメイン突っ込み役はヒロインの典子、ルナティックのそれはやはりヒロインの夢実になる。 彼女たちはヒロインであり、作品中唯一の常識人である。群がる変態たちに彼女たちが読者観点の指摘を行うことでギャグが成立する。
典子と夢実は少女漫画の主人公であるため、あまり無茶はさせられない。最後の最後まで常識人で存在する。あーみん自身が指摘した通り、「これだけ変なキャラクターがそろってる変態マンガで最後の最後まで1コマのこらずまともだったなんて」「…ぜったい異常だ」という位置づけになっている。
「こいつら100%」の突っ込み役は主にお師匠さんか危脳丸になる。彼らは変態の一味であるが、いじられ役でもあり、何かとひどい目にあっては必死に不条理を訴える役目になる。この作品にもヒロインは存在するが、大した出番はない。 師匠と危脳丸は初めから三枚目で登場するため、典子や夢実にはさせられない仕打ちにより、勢いのある突っ込みが生まれる。ボケは突っ込みによってその面白さは何倍にも増幅する。あーみんは大阪で育っているのでいくらか漫才の影響を受けていると考えることもできる。
必死
前述のとおり、師匠と危脳丸はとにかくひどい目にある。私が一番吹き出してしまうのは、特に危脳丸が追い込まれたときに見せる必死の形相だ。追い込まれた極限から場合によっては命を懸けた状態から必死の突っ込みがなされる。それを冷静に受け止める極丸、逆に必死に追い込まれるターミィ。この連鎖がたまらなく面白い。
「お父さん」と「ルナティック」は一応ストーリーで話が成り立っており、日常の中に変態たちがボケを入れていく構成になっている。「100%」も当然話にはなっているが、基本何でもありだ。場を転がせば変態たちが暴れて、暴れることによって話が進む。そして自ら修羅場を迎えボケと突っ込みの応酬が始まる。彼らが必死になるのは、もう初めから日常など放棄した作者の創作方針であり、作者とともに必死に話を進めていかなければならない。
テンポ
必死になった彼らは畳みかけるようにボケ始める。このテンポがすさまじい。特に「100%」の後半になるほど加速度的に勢いが出てくる。
似た勢いは「お父さん」のかなり後半にも表れている。「お父さん」はかなり日常を扱った作品であるが、後半になるほど5000万円を盗まれたとか、白血病と診断されるとか、「100%」に似た修羅場を作者に与えられるようになる。
これはどうやら作者自身が修羅場になっているということのようだ。
「お父さん」はネタの創出で行き詰まり、「100%」は作者の言葉通り担当の一声で忍者マンガという想定しない連載が始まりかなり初期から行き詰っていた。そしてマンガ夜話でたびたび語られた通り、ギャグマンガ家はとにかく消費する。描くほどに残っているものはなくなり、あーみんは典型的にこのタイプに思える。断筆は必然なのだろう。
行き詰っても締め切りはやってくる。1ページ、場合によっては2・3コマを埋めるためにボケを考え、次の2・3コマを埋めるために次のボケを考える。結果すごいテンポが生まれる。と私には見える。
幸か不幸かあーみんのキャラは一発ギャグを持っていない。困ったときに「ともだちんこ!」とやってくれる登場人物はいない。今までにないボケを持ってくるしか原稿を埋めるすべはない。
結論
「100%」は必死で追い込まれた作者が必死に消耗しながらとんでもない勢いを作り上げていったから面白い。
「ルナティック」での少女漫画化はこの反動に思える。消耗するしかなかったギャグ漫画家が生きながらえるにはストーリーでページを埋めてく手法が必要だった。